氏名 |
年代 |
思想技術等 |
~中国文明の伝説~ | ||
伏羲 | 生年不詳から紀元前2510 | 妹のジョカと共に国生み。易(卜)の祖。 老子によって皇思想で顕わされる。 ジョカ、神農と共に三皇 |
ジョカ | 生年不詳から紀元前2510 | 伏羲の妹、妻。伏羲と神農と共に三皇 |
神農 | 生年不詳から紀元前2510 | 伏羲の子。医薬(漢方薬)の祖。伏羲とジョカと共に三皇 |
~中国思想の誕生~ | ||
黄帝 | 紀元前2510年生から 紀元前2448年の人 |
道教の祖。伏羲の9代目、神農の8代目の子孫。五帝 老子によって帝思想(君臣思想)で顕わされる。君臣思想の誕生。 発明者 岡本幸裕は、黄帝の末裔である。黄帝の末裔である北朝鮮 国の高句麗・朱蒙と韓国の百済・温作の大韓民族を通して、日本国 の百済王の末である和家、百済王家に繋がる。和家から日本国の天 皇家の桓武に伝わって、日本国の摂関家の藤原家に繋がっている。岡 本幸裕は藤原鎌足直系近衛家平を家祖としている。 |
蒼頡 | 紀元前2510年頃生から 紀元前2448年頃の人 |
黄帝の史官であり、漢字を発明する。 漢字(文字)は人類が得た伝達通信技術の高度な技術的思想。 言語科学的羅列技術(日本国特許庁特許出願番号 特願2003-363862) 蒼頡の漢字の発明を応用活用したもの 蒼頡が漢字を発明してから約4500年後の技術思想。 |
高陽氏 | 紀元前2460頃生から 紀元前2370年頃の人 |
本名:センギョク 高陽を都にしたことから、高陽を称する 黄帝の孫。在位78年 「三国史記」(韓国現存する最古の歴史書 1145頃完成) 高句麗王 朱蒙の祖 百済王 温祚の祖 発明者 岡本幸裕は、高陽氏の末裔となる。 ※信憑性に関して 三国史記以前にあった古記などを参考に編纂されたもの 歴史を改竄したものではないとされる |
高辛 | 紀元前2300年頃の人 | 本名:コク 高陽の跡を継いだが、黄帝の実子ではない 黄帝の子である少昊の孫 「三国史記」(韓国現存する最古の歴史書 1145頃完成) 高句麗王 朱蒙の祖 百済王 温祚の祖 |
禹王 | 紀元前1900年頃の人 | 黄帝の孫(子孫) 九鼎鋳造して天子思想の象徴とする。 夏国(夏朝)の始祖 【九鼎】 周王朝滅紀元前256年まで中国の各王朝に受け継がれて存在。 |
箕子 | 紀元前1112年頃から 紀元前1082年頃 |
殷国第28代王・太丁の子。 第29代王・帝乙の弟。第30代王・帝辛の叔父。 箕子朝鮮国建国 初代国王・文聖王 |
帝辛 (紂王) |
紀元前1100年頃の人 | 殷国第30代(最後)王。暴君の代名詞。酒池肉林伝説。 |
妲己 | 紀元前1100年頃の人 | 殷の帝辛の妃。酒池肉林伝説。道教の悪女思想の祖。 |
呂尚 | 紀元前1021頃から 紀元前1000頃の人 |
仙人思想の元祖。斎の始祖。日本では太公望と呼ばれる。 飲食業・屠殺業から身を興して殷・帝辛に仕えるも無道と批判する 殷の無道を説いて周の軍師となって遂には斎の始祖として国を興す |
~道教・儒教の誕生~ | ||
老子 | 紀元前600年頃の人 | 陰陽家の祖。老子道徳経を顕わす。 道教の定義をして中国の始まりを顕わして国教となる。 無為自然を顕わして無極を説く。 無極を説いたため、陰陽思想の創始者とされる。 |
孔子 | 紀元前552年から前479年の 人 |
儒教の創始者。儒学者の祖。 老子を師とした逸話も残るが定かではない。 老子の無極を受けて、また対して太極思想を顕わす。 この違いが後の思想家の繋がりの違いを生む。 本来は太極思想と陰陽思想を同一視するものでもある。 定義的には、太極思想は二極になった後を指し、陰陽思想は無極から 太極になるまでを指す。 なお、天命思想を顕わして、年齢に応じて人生を説く。 更に仁(五徳の原型)を顕わして単語による世界観を示す。 |
孟子 | 紀元前372から前289年の人 | 儒学者。儒教は、孔子と孟子、即ち「孔孟の教え」とも謂われる。 性善説を説く(徳治主義) 四端説(五徳の原型)を顕わす。 孔子は仁を重んじたが、義を加えて仁義を説く。 |
荘子 | 紀元前369年から 紀元前286年の人 |
陰陽家。道教の定義を発展させて道教と儒教との分岐を顕わす。 主に、道教は自然の理にかなったもの、儒教は人間の理にかなったも の。 道教は、老子と荘子、即ち「老荘の教え」とも謂れる。 老子と共に神仙思想の祖。 |
荀子 | 紀元前313年から 紀元前238年の人 |
儒学者。孔子・孟子とはある意味で迎合せず。 九鼎の滅失に儒学者として直面したと思われる。 孔子の五徳の「礼」を重んじる。 性悪説を説いて孟子の性善説を批判する(法治主義) 荀子以降は礼が儒教の神髄となる 陰陽家、特に儒学者で九鼎滅失への対応の違いが出る。 道教と儒教が完全に一つになる可能性を失わせたと思われる。 |
鄒衍 | 紀元前305年から 紀元前204年の人 |
陰陽家。 五行説(万物は木・火・土・金・水の5元素からなる説)を顕わす。 陰陽思想と結びつき、陰陽五行思想の祖。 中国五岳思想の基本となる。 五行説は、西洋思想、ヒンドゥー教の四元素説と対比。 四元素説は万物は火・風・水・土の4元素からなるという説。 学習教材では思想が比較される。 言語科学的羅列技術とは古代・現代科学思想として対比。 学習教材で思想の比較に用いられる。 【言語科学的羅列技術は日本の陰陽道では対語(対義語)行説】 対語(対義語)行説は五行説、四元素説に合わせた言葉で、対語(対義語)を用 いたことから、発明者によって対語行説(万物は対義語の理論によって自然法 則を利用して形成される)と命名された高度な技術的思想の発明品 ※(日本国特許庁特許出願番号 特願2003-363862) |
昭襄王 | 紀元前306年から前251年の 人 |
秦王。 禹王の鋳造した九鼎を泗水に沈めて失う。 九鼎がないため、正当な「天子」と認められない。 |
~皇帝思想の誕生~ | ||
政王 | 紀元前246年から前221年の 人 |
秦王(始皇帝)。昭襄王の曾孫。 九鼎滅失後の「天子」の正当性の必要に迫られる。 三皇の「皇」の字と五帝の「帝」を組み合わせて「皇帝」を造語する 天子思想の継承として皇帝思想を顕わす。 荀子の弟子である李斯を宰相とする 文字の統一や道の統一、焚書坑儒を行う。 主に性善説の儒学者を弾圧する |
韓非 | 紀元前280年頃から 紀元前233年の人 |
儒学者。九鼎滅失後、儒教の中から法家(法治主義)が興る 荀子の弟子。荀子の性悪説を発展させて法家の理論家祖 李斯によって自害に追い込まれる |
李斯 | 紀元前284年から前208年の 人 |
儒学者。荀子の弟子。九鼎を失った秦の政王(始皇帝)の宰相 荀子の性悪説を発展させて法家の実務家祖。 陰陽家、儒学者(徳治主義)と法家儒学者の対立。焚書坑儒を指揮 |
徐福 | 生没年不詳 紀元前240から 紀元前200頃の人と推測 |
陰陽家。東(日本)国建国(司馬遷史記・淮南衝山列伝) 現在の日本国愛知県に秦王国建国(一説には日本国の祖) |
~徳治主義VS法治主義~ | ||
項羽 | 紀元前232年から前202年の 人 |
覇王の称号を用いて秦国を滅ぼす。 儒教の覇道王道思想の覇道の元祖 |
劉邦 | 紀元前247年から前192年の 人 |
漢国建国。 皇帝思想継承して儒教の王道思想の元祖(徳治主義の模範) |
呂雉 | 紀元前241年から前180年の 人 |
劉邦の妻。道教の中国三大悪女の一人とされる。悪妻伝説の元祖 |
石奮 | 紀元前219年から前124年の人 | 劉邦の家臣。誤字に関しての最古のエピソード。 「漢書」(誤字に関する最古の記載と思われる) 馬の字を間違えた事に死罪にあたると述べる 劉邦に上奏文を提出しが、返戻を受けたので確認したところ、 馬の字が間違っていた。それで述べた言葉である。 |
董仲舒 | 紀元前176から前104年の人 | 陰陽家兼儒学者。儒教を国教とする。五徳の完成者。 鄒衍の五行説を基に五行相生説を顕わす。 五行相生説は「木は火を、火は土を、土は金、金は水、水は木を生ず」 五行相生説は、西洋思想、ヒンドゥー教の四元素説と対比。 四元素説は万物は、火・風・水・土の4元素からなるという説。 学習教材では思想が比較される。 言語科学的羅列技術とは古代科学思想と現代科学思想として対比。 学習教材で思想の比較に用いられる。 【言語科学的羅列技術は日本の陰陽道では対語(対義語)行説】 対語(対義語)行説は五行説、四元素説に合わせた言葉で、対語(対義語)を用 いたことから、発明者によって対語行説(万物は対義語の理論によって自然法 則を利用して形成される)と命名された高度な技術的思想の発明品 ※(日本国特許庁特許出願番号 特願2003-363862) |
武帝 | 紀元前156年頃から 紀元前87年の人 |
前漢 第7代皇帝 衛氏朝鮮を滅ぼす。 |
王充 | 27年から97頃の人 | 陰陽家。十二支創設者。反儒学者。 十二支思想を創造したことで東アジア共通時間思想に発展 陰陽家(徳治主義)と儒学者(法治主義)の対比構図が鮮明となる 地域絵画芸術保護技術は、十二支を活用する技術でもある。 ※(日本国特許庁:特願2006-214204) |
~仏教の伝来・古典合理主義~ | ||
迦葉摩騰 | 生没年不詳(1世紀の人) | 仏教僧侶(西域人)。中国に仏教を伝える |
竺法蘭 | 生没年不詳(1世紀の人) | 仏教僧侶(西域人)。中国に仏教を伝える |
張陵 | 34年から156年の人 | 陰陽家。道教の教団を初創設。仏教の中国流布に対応した陰陽家。 道教は庶民の教えとなる。道教と儒教は別々に発展する |
許慎 | 58年から147年の人 | 儒学者。文字学者。 漢字辞典(最古の漢字辞典):説文解字の著者 漢字を540の部首によって体系解説。 【言語科学的羅列技術(対語行説)】 発明技術は、漢字を科学で体系化して解説可能な技術。 ある意味で説文解字を科学思想で発展させた技術。 |
張角 | 140年から184年の人 | 陰陽家。 衆生救済、因果応報の仏教の影響を受けて、天誅思想の元祖。 |
劉備 | 161年から223年の人 | 三国志の英雄。張角の道教教団による黄巾の乱を平定。関羽の主 君。 |
関羽 | 生年不詳から220年の人 | 仏教徒(仏教によって初めて成仏した中国武将)。三国志の英雄。 後に中国仏教、道教、儒教の中国三教において神格化された武 将。 |
諸葛亮 | 181年から234年の人 | 181年から234年の人。三国志の英雄。天下三分の計。 |
仏図澄 | 232年から349年の人 | 232年から349年の人。仏教僧侶。後趙の軍師 道教、儒教とともに仏教が中国の国教となる |
~中国三教の融合~ | ||
郭璞 | 276年から324年の人 | 中国三教思想家。 道教、儒教、仏教宗教を融合した風水の創設者 地域絵画芸術保護技術は風水を模範に発明された技術 地形の応用など風水独特の活用技術論がある 但し、風水は時と状況などに応じて確定しない結果が生じる 風水のデメリットは予測不能にある 地域絵画芸術保護技術は予測不能な結果を定期的に計る装置 地域差の傾向、特徴が徐々に判明する ※(日本国特許庁:特願2006-214204) |
~仏教の繁栄~ | ||
釈道安 (衛道安) |
314年から385年の人 | 仏教僧侶(中国仏教・初の中国人)。仏図澄の弟子 名は釈迦牟尼の弟子という事で釈を名乗る 戒名(法名)創始者。 先祖崇拝思想の元祖 中国、韓国、日本の仏教徒には死後戒名付けられる 戒名には必ず釈道安の釈の字が付けられる |
慧遠 | 334年から416年の人 | 鳩摩羅什とも往復書簡にて交流あり。四文字熟語「虎渓三笑」 念仏行の先駆者。念仏行の根拠経典は般舟三昧経 称名念仏とは違って、観想念仏と言われる |
鳩摩羅什 | 344年から413年の人 | 仏教僧侶(西域人)。釈道安の招きで中国来訪。 仏典を漢訳の第一人者。 |
達磨 | 生年不詳から528年の人 | 仏教僧侶(西域人)。禅宗の祖。中国に仏教の禅を伝える 文武両道思想。 |
慧可 (姫神光) |
487年から593年の人 | 禅宗の第2祖。「雪中断臂」「達磨安心」の逸話 |
玄奘 | 602年から664年の人 | 仏教僧侶。法相宗の開祖。経典での般若心経を中国に広める。 日本の仏教僧侶 道昭の師。 |
煬帝 | 604年から618年の人 | 隋の二代皇帝。異民族・日本との初の陰陽思想対決 日本・聖徳太子(岡本宮)からの対義を駆使した書簡を受け取る 「日出の天子対日没の天子」の内容で初めて日本の呼称を用いる 倭王を名乗らず、倭皇を名乗る <岡本宮末裔説のある岡本家々伝〉 推古天皇は倭皇、聖徳太子は天子 日本の天皇とは、倭皇の「皇」と天子の「天」を合わせた神道言葉 道教の天皇・地皇・泰皇からの語源とは違う |
則天武后 (武照) |
690年から705年の人 | 「道先仏後」を「先仏道後」に改める 即ち、道教を優先を仏教を優先に改める |
鑑真 | 688年から763年の人 | 仏教僧侶。日本渡航して日本に仏教を広める |
不空 | 705年から774年の人 | 仏教僧侶(西域人)。密教を広める。恵果の師 |
恵果 | 746年から806年の人 | 仏教僧侶。不空の弟子。日本の僧侶 空海の師。真言宗 |
道邃 | 生年不詳 | 仏教僧侶。中国天台宗第7祖。日本の僧侶 最澄の師 |
~廃仏(仏教弾圧)~ | ||
趙帰真 | 生年不詳から846年の人 | 陰陽家。会昌の廃仏での首謀者。道教と仏教の対立勃発 |
義寂 | 生年没年不詳 | 中国天台宗の僧第15代祖・中興の祖ともされる 「会昌の廃仏」の後、中国天台宗を再建 高麗の僧 諦観の派遣を義通と共に要請 諦観は華厳経などを高麗国から持参して再建に協力 |
義通 | 生年没年不詳 | 中国天台宗の僧第16代祖・中興の祖 高麗の僧。中国天台宗に留学し、帰国せず 中国天台宗第15代螺渓義寂の法嗣となって、諦観の派遣要請 |
諦観 | 生年不詳から961年 | 高麗の僧。「会昌の廃仏」後の天台宗を義通と共に再興する 中国天台宗第15代螺渓義寂の法嗣となる 天台宗の僧。「天台四教儀」を著す |
周敦頤 |
1017年から1073年の人 |
儒学者。太極図説:無極と太極の定義を定める 太極図 新儒教の胎動 |
程顥 | 1032年から1085の人 | 儒学者。周敦頤の弟子。弟の程頤と合わせて、二程子と呼ばれる。 自然現象に法則を見出して理と読んで定義する 新儒教への流れを創る |
程頤 | 1033年から1107の人 | 儒学者。周敦頤の弟子。兄の程顥と合わせて、二程子と呼ばれる。 兄・程顥の「理」の思想を受けて、相対する「気」を説く。 理気二元論。新儒教への流れを創る |
~新儒教・民衆仏教~ | ||
清覚 | 1043年から1121年の人 | 仏教僧侶。仏教弾圧によって誕生した仏教教団の元祖 |
朱熹 | 1130年から1200年の人 | 新儒学者(仏教・道教との融合) 道教と仏教の対立期に、仏教理論に学びて儒教理論の構築者。 新儒教の祖(儒教中興の祖) 。 仏教の「空」の姿勢に対して、儒教の「理」の姿勢を説く。 仏教、道教にあって儒教思想にない先祖崇拝を取り入れる。 更に仏教にない「理」を用いて長子継承論(帝王学の元)を説く。 |
羅祖 | 1442年から1527年の人 | 仏教僧侶。庶民仏教教団羅教の開祖。仏教は庶民宗教化 |
~労使の誕生~ | ||
袁世凱 | 1859年から1916年の人 | 清王朝軍人(陰陽家)。中華帝国初代皇帝。 道教思想に基づく立憲君主制・資本主義の導入 |
呉敬恒 | 1865年から1953年の人 | 言語学者。孫文に協力して、注音符号を定義 章炳麟の考案した注音字母を基に中国語表記方法改善に尽力。 |
孫文 | 1866年から1925年の人 | 民主主義者。中華民国初代大統領 民主主義制度・資本主義制度・科学の導入 【言語科学的羅列技術(対語行説)】 道教の発明品・漢字を基にして科学を用いた高度な技術思想。 言語科学的羅列技術が発明されるまで高度な科学が必要であった。 |
章炳麟 | 1869年から1936年の人 | 儒学者(国学大師)。中国伝統思想を軸に近代思想を説く 辛亥革命の思想理念。革命家。 中国近代化の基準定義の基となるナショナリズム思想 注音符号の基になる思想・駁中国用万国新語説を発表 【言語科学的羅列技術(対語行説)】 注音符号などの技術思想の考えは発明技術と通じるものがある。 根底の思想発想は似ている。 |
陳独秀 | 1879年から1942年の人 | 共産主義者。中国共産党設立者の一人。初代総書記。 儒教・仏教を廃止して科学を重視する共産主義を主張。 【言語科学的羅列技術(対語行説)】 道教の発明品・漢字を基にして科学を用いた高度な技術思想。 言語科学的羅列技術が発明されるまで高度な科学が必要であった。 |
蒋介石 | 1887年から1975年の人 | 中華民国初代総統。 |
毛沢東 | 1893年から1976年の人 | 共産主義者。無神論。中華人民共和国建国。 文化大革命首謀者。中国三教の寺院等を破壊。 地域絵画芸術保護技術は、科学を用いた計測装置。 政治的技術観点からは、世界遺産、過疎地の活用を目論む。 |
周恩来 | 1898年から1976年の人 | 共産主義者。第二次大戦後日中国交正常化 |
鄧小平 | 1904年から1997年の人 | 共産主義者。改革開放政策。 中華人民共和国専利法(特許法)施行制定(1985年) 岡本幸裕が中国に偵察時の中華人民共和国指導者。 |
李登輝 | 1923年からの人 | 1923年からの人。中華民国指導者。 岡本幸裕が中京大学法学部入卒時及び社会保険労務士資格合格 時の中国指導者 |
江沢民 | 1926年からの人 | 共産主義者。中華人民共和国指導者。 岡本幸裕が中京大学法学部入学卒業時及び社会保険労務士資格 合格時の中国指導者 |
胡錦濤 | 1942年からの人 | 共産主義者。中華人民共和国指導者。九鼎復元。 言語科学的羅列技術(対語行説)及び地域絵画芸術保護技術を日 本国特許庁に出願した時の中国指導者。 出会ったら九鼎復元は岡本幸裕の影響があったのかを伺ってみたい。 |
陳水扁 | 1950年からの人 | 民主主義者。中華民国指導者。 言語科学的羅列技術(対語行説)及び地域絵画芸術保護技術を日 本国特許庁に出願した時の中国指導者。 |
習近平 | 1953年からの人 | 共産主義者。中華人民共和国指導者。一帯一路構想。 自然大破壊者の恐れ有り。 |
~韓の国文明の神話~ 最古出典:高麗国の一然著「三国遺事」1280年頃撰述 | ||
桓因 | 紀元前2333年頃の神 | 桓雄の父。桓国の帝釈(印度の称号名である) 現時点の最古記述が1280年頃の高麗時代。 帝釈で顕わされるのは、高麗時代は仏教が盛んであったためと推測。 |
桓雄 | 紀元前2333年頃の神 | 桓因の庶子。神市国の王。 (庶子である。韓国(朝鮮)では国生み逸話で庶子が王になる事が多い) |
熊女 | 紀元前2333年頃の熊 (人に変化した女) |
桓雄の妻 熊であったが、桓雄に祈って人の女の姿になった。 |
檀君 | 紀元前2333年頃から 紀元前813年の人 |
桓雄と熊女の子。朝鮮半島統一国・檀君朝鮮国の王。 国名:朝鮮。朝鮮民族の始祖。首都・平壌 1500年も長生きした人 |
~古代中国・黄帝血脈~ | ||
箕子 | 紀元前1112年頃から 紀元前1082年頃の人 |
殷国第28代王・太丁の子。 第29代王・帝乙の弟。第30代王・帝辛の叔父。 箕子朝鮮国建国 初代国王・文聖王 李氏朝鮮紀元前194年まで存続 首都・平壌 |
箕準 | 紀元前220年頃から 紀元前195年の人 |
箕子朝鮮第41代王。漢の中国統一の際、衛満を匿う。 |
衛満 | 2世紀ごろの人 | 燕王・蘆綰の部下。漢が中国統一の際、燕王は匈奴に逃亡。 衛満は箕子朝鮮箕準の部下となるも、下克上で箕準を追放。 衛氏朝鮮国建国 |
衛右渠 | 生年不詳から 紀元前108年頃の人 |
衛満の孫。漢の武帝に敗れる |
歴谿卿 | 紀元前108年頃の人 | 衛氏朝鮮国 衛右渠の部下。朝鮮半島南部の辰国に亡命。 史記によれば、朝鮮半島南に辰国あって亡命すと記載あり。 |
武帝 | 紀元前156年頃から 紀元前87年の人 |
中国 漢 衛右渠を破って衛氏朝鮮を滅ぼす。 朝鮮半島北部に楽浪郡・臨屯郡・真番郡・玄菟郡を設置して漢4郡統治 |
~北部の卵生神話(朝鮮民族誕生)~ | ||
解慕漱 | 紀元前58年頃の人 | 扶余国初代王。柳花の夫。 東扶余国初代王解夫婁の父。 韓国神話では天帝の称号。 朱蒙が高句麗を建国した際、道教の祖・黄帝の末を称する 「三国史記」・「三国遺事」に黄帝の子となっている。 |
柳花 | 紀元前58年頃から 紀元前37年頃の人 |
扶余国初代王解慕漱の妻。東扶余国第2代王金蛙の妻。 東扶余国初代王解夫婁の母。高句麗初代王朱蒙の母。 朱蒙が高句麗を建国した際「善く国を治めて700年」と発言 事実高句麗は700年後に滅ぶ(日本書紀) 好太王碑には「河伯の女郎」と記載あり。 |
解夫婁 | 紀元前58年頃の人 | 東扶余国初代王。夫余国初代王解慕漱の子。柳花の子。 東扶余国第2代王金蛙の養父 初め夫余に建国したが、解慕漱が降りてきたため東に移って東夫余国建国 妻がなくて嫡嗣がいなかった。ある日、乗馬中に馬が岩の前で動かなくなっ て涙を流した。その岩を退けてみると金に光る蛙の姿をした男子が居た。吉 兆を感じたので子とした。その男子が東扶余国第2代王金蛙。 |
金蛙 | 紀元前58年頃の人 | 北扶余国初代王にして東扶余国第2代王。柳花の夫。 高句麗初代王朱蒙の養父。 (朝鮮神話の逸話) 金蛙が養父解夫婁の跡を継いだ頃。 太白山の優渤水で馬に乗っていたところ、稀な美しさの柳花に出会う。 柳花の話によれば、天帝の解慕漱に騙されて連れ出されて犯された。 それを知った父の河伯には不用心だと勘当されて仕方なくここにいる。 その話を聞いて金蛙は不思議な予感がして柳花を連れて帰った。 暫くして柳花は不思議な天光を浴びて懐妊した。 しかし産んだのは金の卵を産んだ。人が卵を産むとは不吉だった。 卵は家畜の豚に餌として与えたが豚は怖がって近寄らない。 すると鳥が翼で卵を温めだしたので逆に金蛙は吉事と思った。 卵を柳花に返すと温めだして卵が孵って生まれたのが朱蒙だった。 また、この逸話から韓国・朝鮮で最大の姓(韓国民族2割)である金姓が 発祥した説がある(朱蒙の後裔を称す)。 |
~朝鮮民族の黄帝血脈~ | ||
朱蒙 | 紀元前58年から 紀元前19年の人 |
韓国民族(扶余族)の祖。高句麗初代王。 金蛙の養子(実質的には解慕漱の子)。 黄帝の孫・高陽氏、曾孫・高辛氏の末と称する 中華思想を意識して、黄帝血脈で王朝の正当性を主張。 高句麗国を黄帝血脈によって中国国家みなす説あり。 【三国史記:百済本記】 卒本扶余の延陀勃の次女・召西奴を妻。 長子(実質二男)佛流、二男(実質三男)温祚の父 佛流、温祚は十済(百済)建国 ※発明者は系図を辿れば、朱蒙の末裔ともなる |
優台 | 生年没年不詳の人 | 解夫婁の庶孫。 【三国史記:百済本記別伝】 召西奴の最初の夫。 十済(百済)始祖の佛流、百済初代王の温祚の父 |
召西奴 | 生年没年不詳の人 | 高句麗王朱蒙の2番目の妻 百済始祖・佛流、百済初代王・ 【三国史記:百済本記別伝】 召西奴の最初の夫。 十済(百済)始祖の佛流、百済初代王の温祚の父 |
瑠璃明王 | 紀元前38年から 前18年10月の人 |
高句麗2代目王。高句麗初代王・朱蒙の長男 高句麗初代王・朱蒙の1番目の妻・礼氏の子 百済国始祖・佛流、百済国初代王・温祚の異母兄弟 瑠璃王の剣 朝鮮国(北朝鮮・大韓民国)の三種の神器の一つ 【三国史記・百済本記】 高句麗初代王・朱蒙の長男 高句麗初代王・朱蒙の2番目の妻・召西奴の子 【三国史記・百済本記別伝】 百済国始祖・佛流、百済国初代王・温祚の異父兄弟 |
故国原王 | 331年から371年の人 | 中国(前燕)より冊封を受ける。 |
小獣林 | 生年不祥から384年の人 | |
順道 | 372年頃の僧 | 中国(前秦)より高句麗に入って仏教布教。 中国(前秦・370年に前燕を滅ぼす)より下賜という形の仏教。 省門寺建立 |
阿道 | 374年頃の僧 | 中国(東晋)より高句麗に入って仏教布教。 伝燈寺建立 |
好太王 (高談徳) |
374年から413年 | 高句麗第19代王 好太王碑 新羅を臣民とした倭と戦う 日本書記などの記載から推測すると神功皇后の三韓征伐と符合 |
宝蔵王 | 生年不詳から682年 | 高句麗最後の王第28代王 668年 唐と新羅国の連合軍に敗れて高句麗滅亡 |
~南の卵生神話(大韓民族誕生)~ | ||
紀元前7000年から 紀元前100年頃 |
中国の黄河辺りの漢族から、長江辺りの国々を東夷と呼んだ 東夷の民族は稲を主食にし、船を用いて暮らす倭民族の国々 倭族は朝鮮半島の南部に移り住んで辰国を興した 辰国は後に、中国秦国からの亡命者を受け入れる その為、中国漢国からは辰秦国と呼ばれる 自らは、辰国馬韓を名乗る 辰国馬韓から、辰国弁韓、辰国辰韓が分離 馬韓、弁韓、辰韓の三韓と呼ばれる時代となる |
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朴赫居世 | 紀元前69年から4年頃の人 | 辰国三韓の辰韓の人。新羅国建国。慶州を都。 新撰姓氏録によれば、日本国の神武天皇の兄・稲飯命。 三国遺事によれば、中国の王室の娘・未婚で身籠った娑蘇夫人の子。 (韓国神話の逸話) 蘿井の林に馬が跪いて嘶く。 近くに行って見れば馬が消えて大卵あり。 大卵を剖けば、嬰児あって養う。 生まれが神異なるを以って君(王)と為す。 辰人は瓢を朴という。大卵は瓢の如きを以て、朴を以て姓となす。 |
昔脱解 | 57年から80年の人 | 新羅の第四代王。新羅三氏(朴・昔・金)の昔氏の祖 (韓国神話の逸話) 初めその国王が女国の王女を娶り、妻とする。 孕むことあり、七年にしてすなわち大卵を産む。 王のいわく、人にして卵を生み、不祥なり。宜しく之を棄つべしと。 その女は忍びず、帛を以て卵ならびに宝物を裹み、箱の中に置き、 海に浮かべて、その往く所に任す。 初め金官国の海辺に至り、金官人は之を怪しみて取らず。 また辰韓の阿珍浦口に至る。 時に海辺の老母が、縄を以て引きて海岸に繋ぎ、 箱を開きて之を見れば、一児の在るあり。その母は取りて之を養う。 壮するに及び身長九尺、風神は秀朗、知識は人に過ぐ。 或はいわく、この児は姓を知らず。 初め箱の来たる時、一の鵲ありて飛び鳴きて之に随う。 宜しく鵲の字を省きて以て昔を氏となすべし。 また箱におさめしを解きて出ず。宜しく脱解と名づくべしと。 |
金閼智 | 65年から没年不祥の人 | 新羅の第十三代王の金味鄒の七代前。金氏の始祖 (韓国神話の逸話) 王は夜、金城の西、始林の樹間に鶏鳴の声あるを聞く。 遅明に瓠公を遣わし之を視るに、金色の小箱が樹の枝に掛けあり。 瓠公は還りて告ぐ。王は人をして箱を開けしめば、男児その中にあり。 資容は奇偉、上は喜び左右に謂う。 「これ豈、天が我に遣わし以て胤がしめんとするに非ずや」と。 之を収めて養うと、聡明にして智略多し故に閼智と名づく。 金箱に出ずるを以って、姓は金氏。 |
金首露 | 42年から199年の人 | 辰国三韓の弁韓の人。 金官国始祖 金海金氏の始祖 金首露は中国黄帝の子 少昊の子孫と伝わる(三国史記) 金官国最後の王 第10代金仇衡の曾孫 (韓国神話の逸話) 紫の縄が天から垂れて地に着く。縄の下に紅の布が金箱を包む。 開いてみると黄金の卵が六つあり、円さは太陽のようであった。 十二日を過ぎて翌日の暁、六つの卵は童子に変じた。 十日あまり経つと身長が九尺。満月の日に即位した。 初めに現れたので諱を首露と名付け、国を大伽耶と称す。 他の五人は、五つの伽耶の主となった。 |
許黄玉 | 32年から189年の人 | 金首露の妃。金官国第2代金居登王の母 インドのサータヴァーハナ朝の王女。 韓国の金海許氏の始祖 |
金味鄒 | 生年不詳から284年の人 | 新羅の第13代王。新羅三氏(朴・昔・金)の金氏の初王 |
金奈勿 | 生年不詳から402年の人 | 新羅の第17代王 【高句麗第19代好太王碑文】 王は倭の侵略を受けて臣民となる 【日本書紀 三韓征伐】 399年 新羅を征服 414年頃 任那国建国 |
神功皇后 | 生年没年不祥 実際の生年没年は399年頃 ※日本書紀 170年から267年 |
日本国第14代 仲哀天皇の皇后 【日本書紀 三韓征伐】【高句麗第19代好太王碑文】 399年 新羅を征服 414年頃 任那国建国 ※日本書紀(702年編纂)の年代誤記の可能性大 研究者間では編者が卑弥呼=神功皇后と考えたという説あり。 因みに、卑弥呼242年から248年(魏志倭人伝) |
金仇衡 | 生年没年不詳 521年から532年在位 |
金官国第10代王。 新羅に降服して金官国滅亡。 【日本書記】 529年4月(継体天皇23年) 日本来日の記載あり。 |
金原宗 (法興王) |
生年不詳から540年 | 新羅国第23代王 528年 仏教を国教と公認する |
金伯浄 (真平王) |
生年不詳から632年 | 新羅国第26代王 594年 隋から冊封を受ける |
円光法師 | 542年から640年 | 新羅国の僧 「世俗五戒」と説く 日本の法然が強く影響を受ける。 円光法師とまで呼ばれるほどで「円光大師」の勅諡号 |
~大韓民族の黄帝血脈~ | ||
佛流 | 紀元前18年頃の人 (生年不詳から没年不詳) |
百済国始祖 【三国史記・百済本記】 高句麗初代王・朱蒙の二男 高句麗初代王・朱蒙の2番目の妻・召西奴の子 【三国史記・百済本記別伝】 扶余国初代王の解慕漱の庶孫・優台の長男 母は召西奴で朱蒙に嫁ぐ前に優台に嫁いで産んだ子 |
温祚 | 生年不祥から28年の人 | 百済国初代王 【三国史記・百済本記】 高句麗初代王・朱蒙の三男 高句麗初代王・朱蒙の2番目の妻・召西奴の子 【三国史記・百済本記別伝】 扶余国初代王の解慕漱の庶孫・優台の二男 母は召西奴で朱蒙に嫁ぐ前に優台に嫁いで産んだ子 |
肖古 | 生年不詳から214年の人 | 百済国第5代王 古事記では、百済国での漢字(文字)使用説あり 但し、三国史記では、第13代王・近肖古王の代とする ※百済の第5代・13代の王の名は肖古と同名。古事記では応神天皇の 時代で記され、年代不正確の可能性大の日本書紀に基づく年代換算か ら導き出されるため、百済国第五代での漢字使用説となった。 |
近肖古 | 生年不詳から375年の人 | 百済国第13代王 第5代王と同名であり、区別するため近を付ける 三国史記では、漢字導入の記述あり 古事記では、応神天皇に「論語」献上記述あり |
高興 | 生年不詳から375年頃の人 | 百済国の博士 百済国歴史書「書記」記載(現時点紛失) 三国史記では、百済国に漢字を伝える |
枕流 | 生年不祥から385年の人 | 百済王第15代王 百済国に仏教が伝わった時の王 |
武寧 | 462年から523年 | 百済王第25代王 倭の氏族・和(やまと)氏の祖 日本に中国道教の祖 黄帝、朝鮮韓流道の祖 朱蒙の血脈を伝える契 機となる人物 |
純陀 | 生年不祥から513年 | 百済王第25代王 武寧の子 倭の氏族・和(やまと)氏(高野氏)の始祖 日本の天皇家に中国黄帝血脈を伝えたことになる 桓武天皇の生母 高野新笠は末裔。 |
謙益 | 生没年不詳 526年 |
百済国の僧 インドに渡って律典を持ち帰って翻訳 |
聖王 | 生没年不から554年の人 | 百済国第26代王 538年 日本・宣化天皇に仏教を伝える 552年 日本・欽明天皇に仏教を伝える |
恵聡 | 生没年不詳 587年(又は588年) |
百済国の僧 587年 日本・崇峻天皇に仏舎利を献上 |
威徳 | 526年から598年 | 百済国第27代王 561年 倭(欽明天皇)と任那と共に新羅と戦うも敗北(倭領任那消滅) 588年 善信尼・禅蔵尼・恵善尼が留学した時の王 |
義慈 | 599年から660年 | 百済国第31代王・百済国最後の王 |
百済王 善光 | 生年不祥から693年 | 百済国第31代王 義慈の子 百済国が滅び日本に亡命 日本・持統天皇より百済王の氏姓を与えられる |
~仏教の興隆 大韓民族による朝鮮半島の統一~ | ||
金徳曼 (善徳女王) |
生年不詳から647年 | 新羅国第27代王(女王) 朝鮮半島統一の礎となる唐との同盟を模索 新羅国と唐との同盟は、第29代王の時に締結される |
慈蔵律師 (金善宗) |
590年から658年 | 新羅国の僧 律宗創始者 通度寺創建者 新羅国管制の唐制化に協力 新羅国王家の出身 |
金勝曼 (真徳女王) |
生年不詳から654年 | 新羅国第28代王(女王) 国家管制を唐制化して王権強化 |
金春秋 (武烈王) |
602年から661年 | 新羅国第29代王 羅唐同盟を結ぶ 661年 唐と連合して百済国を滅ぼし、日本とは国交を断絶する |
金ユ信 ユは臾にマダレ |
595年から673年 | 新羅国の将軍 新羅国の朝鮮半島統一に貢献 金官国最後の王 第十代 金仇衡の曾孫 中国黄帝の子 少昊の子孫と伝わる(金ユ信列伝) |
円測法師 | 613年から696年 | 新羅国の僧 新羅国王家出身 唐 玄奘の弟子 唯識論大家 長安西明寺に住し、中国で没する 日本の道昭も玄奘の弟子だが、接点は無い模様 |
元暁大師 (薛思) |
617年から686年 | 新羅国の僧 西アジア最大の哲学者 【元暁大師・悟りの故事】 入唐を試みて新羅を義湘と出立し、闇夜に宿った塚間にて一器の水を飲 む。翌朝に髑髏に溜まった水であると知って嘔吐した時に悟る。 「心生ずれば種々の法生ず。心滅すれば髑髏不二」 即ち「三界唯心にして心外に法なし、いずくんぞ別に求めんや」 それ即ち「我唐に入るを要せず」と入唐せず新羅に帰国。 因みに義湘はその後の661年に唐に留学 ↓ 【元暁大師の哲学的境地「離辺非中」】 有でもなく無でもなく、ふたつの辺を遠く離れ、かつ中道にも執着しない ↓ 西アジア最大の哲学者と評価される理由 釈迦牟尼あっての境地であり、仏教思想での西アジアの地理的思想 即ち、哲学思想の世界議論に置いて必ず参照となる思想軸 日本思想でも、世界の哲学思想議論でも参照軸と提議される |
金法敏 (文武王) |
621年から681年 | 新羅国第30代王 668年 唐と連合して高句麗を滅ぼす。 676年 唐の勢力を朝鮮半島から追い出して半島統一 |
義湘 | 625年から702年 | 新羅国の僧 韓国仏教の大家 新羅貴族出身 元暁とともに入唐を試みるも頓挫した後、661年唐に留学 韓国・朝鮮の高麗国以降の仏教では華厳と禅が重要視される 即ち、教理の華厳と修行の禅であり。その華厳宗の大家 『華厳一乗法界図』の作者 儒教 李退渓の「聖学十図」と共に韓国・朝鮮が誇る二大哲学図 現代科学では言語科学的技術、東洋思想風では対語行説との技術比較 華厳一乗法界図は思想をキーワード化して図形化して分かりやすくしたものであ る。東洋思想では漢字をキーワード化して理論表現をする技術の一例である。科学 技術を利用したものではないが、理論表現思想技術である |
金政明 (神文王) |
生年不詳から692年 | 新羅国第31代王 儒教の祖廟制度を導入 |
于堂 (薛聡) |
生年没年不詳 | 元暁大師(薛思)の子。儒学者 六経を新羅語に訓解する |
審祥 | 生年没年不祥 | 新羅国の僧とされる。729年から749年に日本の大安寺に住する 740年から743年日本の東大寺で華厳経を講説 元暁大師の教えを多く伝えたことから弟子とされている |
憬興法師 | 生年没年不詳 | 新羅国の僧とされる。詳細は不明。著書「無量寿経連義述文賛」 日本の僧 源信、親鸞に著書が引用されて師と仰がれている。 |
太賢法師 | 生年没年不祥 8世紀 |
新羅国の僧 新羅・瑜伽の祖 著書から推察するに、名の通り宗派超越の幅広い知識があった模様 |
真表大聖師 | 734年から没年不詳 | 新羅国の僧 新羅国の弥勒信仰の祖 |
道義国師 | 760年頃から821年頃 | 新羅国の僧 新羅国の禅の祖 韓国仏教の特徴として、教理の華厳と修行の禅であり その禅の大家 |
金諠靖 (憲安王) |
生年不祥から861年 | 新羅国第47代王 後高句麗初代王 弓裔の父説あり |
金膺廉 (景文王) |
845年から875年 | 新羅国第48代王 後高句麗初代王 弓裔の父説あり 〔景文王の嫁とり逸話〕 憲安王には二人の娘がいた。景文王が有徳の噂なので試す 「善人を見たことはあるか?」 ・身分のある門閥の子弟であるが、末席に在ろうとする者 ・富裕であるにに粗末な着物を着る者 ・権勢を持っていながら他者に圧力を加えない者 「(上記の)三人が善人だと思う」 憲安王は関心して姉妹のいずれを娶るかを尋ねる 景文王は保留して父母、興輪寺の僧に相談をする 父母は、「妹が器量よしだから、妹がいい」 興輪寺の僧は、「姉を娶れば三徳あり。妹を娶れば三損あり」 景文王は決め兼ねて、憲安王に委ねて憲安王は姉に決める 憲安王は姉を降嫁した後、直ぐに逝去してしまう その後、景文王は妹も嫁とした。 景文王は、法輪寺の僧に三徳とは何か?を聞く 法輪寺の僧曰く ・憲安王の意に適って寵愛を深めたことが一つ目 ・姉を娶ったので王位を継ぐことが出来た事が二つ目 ・器量の良い妹も娶れた事が三つ目 二人は大笑いしたとの事で、僧は大徳位と金130両賜った |
金曼 (真聖女王) |
生年不祥から897年 | 新羅国第51代王 愛人政治をした為、国が乱れる この後、後三国時代の幕開けとなる |
~仏教の展開 後三国時代~ | ||
金弓裔 | 生年不祥から918年 | 899年新羅国に対して挙兵する 901年後高句麗(泰封)国建国 後高句麗初代王 新羅国第48代景文王の庶子 また一説には第47代憲安王の庶子説あり 仏教の弥勒経を利用して挙兵して建国する -仏教(弥勒経)の圧倒的な求心力- 逸話として、仏教の縁起で国が興って滅ぶ逸話がある ・托鉢僧であったときに鉢に烏が王の文字が入った札を落として国が興る ・勃颯寺の仏像が動いて古鏡を売って刻まれていた歌で国が滅ぶ 高羅国初代王 王建による易姓革命で国が滅ぶ |
朴魏膺 (景哀王) |
生年不詳から927年 | 新羅国第55代王 後百済国初代王 甄萱に自害させられ、后は強淫される |
甄萱 | 生年不詳から936年 | 新羅国の副将軍 900年後百済国建国 後百済国初代王 926年新羅国第55代景哀王を自害させ、后を強淫する 実質的に新羅国滅亡する 長男 甄神剣によって国を追われ、高羅国 王建の元に亡命 |
金博 (敬順王) |
生年不詳から978年 | 新羅国第56代王 新羅国第55代景哀王を自害させた甄萱によって即位させられる 後百済国初代王 甄萱が高羅国に亡命した後、高羅国に領土を譲渡する 新羅国最後の王となる |
甄神剣 | 生年不詳から936年 | 後百済国第2代王 後百済国初代王の父 甄萱が四男 甄金剛に譲位を阻止 弟 甄金剛を殺害し、父 甄萱を幽閉して即位 |
~仏教の繁栄 朝鮮民族による三韓の統一~ | ||
王建 (太祖) |
生年不詳から943年 | 後高句麗 初代王金弓裔を追い払って易姓革命にて建国 高羅国初代王 王建の出自は王姓のため、中国・満州人説がある 王建は自らが高句麗の後継としているから、朝鮮民族と思われる |
義通祖師 | 生年没年不詳 | 中国天台主に留学。「会昌の廃仏」に遭遇したと思われる 中国天台宗第15代螺渓義寂の法嗣となって、諦観の派遣要請 中国天台宗の僧第16代祖 |
諦観法師 | 生年不詳から961年 | 中国・「会昌の廃仏」後の天台宗を義通と共に再興する 中国天台宗第15代螺渓義寂の法嗣となる 天台宗の僧。「天台四教儀」を著す |
均如大師 | 923年から973年 | 華厳宗の僧。「理理無碍」を説く |
王昭 (光宗) |
925年から975年 | 高句麗第4代王。科挙制度導入。両班(文班・武班)設置 |
崔冲 | 984年から1068年 | 儒学者。文書公人(九斎学堂)朝鮮初の私学を創設 |
王詢 (顕宗) |
992年から1031年 | 高句麗第8代王 高麗初雕本・1030年刊刻事業開始 |
王徽 (文宗) |
1019年から1083年 | 高句麗王第11代王 高麗初雕本・1082年刊刻事業完成 |
大覚国師 (義天) |
1055年から1101年 | 高句麗王第11代王 文宗の第四子。朝鮮天台宗の開祖 |
普照国師 (知訥) |
1158年から1210年 | 朝鮮曹渓宗の開祖。教禅一致の「頓悟漸修」悟りの境地 |
円妙了世 | 1163年から1245年 | 朝鮮念仏行の代表格。万徳山白蓮社(白蓮結社)を結成 結社は、高麗時代の寺院建立修繕改築システム |
~韓国の東洋思想作成中~ |
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